杏仁さん【水戸真之介】は事故で半身不随だった?


Youtubeチャンネル『あかでみっくモーターカレッジ』を運営し、車の構造やメカニズムを解説してくれる杏仁さん。
笑顔で仲間思いの優しい姿は、見ているこちらもほっこりとした気持ちになりますね。
いつも陽気で愉快な杏仁さんですが、過去にはサーキットでの事故で半身不随になったという経験もありました。
この記事では杏仁さんの事故がどのようなものであったか、また杏仁さんこと水戸真之介選手の2024年現在の活動も調べてみました。

杏仁さんが半身不随になった事故とは?

過去の病歴というデリケートな情報ですので当サイトで独自の調査はしません。「あかでみっくモーターカレッジ」及びサブチャンネルの「アカデミックな放課後FREEDOM_OSSAN」で杏仁さんご本人が語った経緯をまとめる形で紹介します。

事故の正確な日時は分かっていませんが、杏仁さん曰く”20数年前”。
当時杏仁さんは25歳だったそうです。


出典:アカデミックな放課後FREEDOM_OSSAN

杏仁さんが事故に遭ったのは、岡山県にある備北ハイランドサーキットの第1コーナー。
(正確には第1コーナー手前、アウト側にタイヤバリアのある区間です。)

ホームストレート直後で、もっとも車速がのった状態で進入するコーナーです。
そのためサーキット内でも一番迫力のあるセクター。
ドリフト競技では1コーナーから2コーナー脱出まで、リアをスライドさせた状態で駆け抜ける選手もいるほどです!

観客にとって迫力あるレース展開を楽しめる一方、ドライバーにとってはリスクも高い区間の一つ。

事故当時、杏仁さんは他のドライバーが運転する車両に同乗。
当時は現在よりも規制が緩く、ヘルメットを着用していなかったそうです。
その状態で車が横転。Aピラーが変形するほどのダメージを受け杏仁さんは側頭部を強打しました。


出典:アカデミックな放課後FREEDOM_OSSAN

サーキットの集中治療室に搬送され診断を受けたところ、隣の部屋から「アカン!」という声が聞こえたのだそう。
そのまま病院に緊急搬送されました。
後から知ったそうですが、このとき硬膜内出血が起きていました(「アカン!」は頭部レントゲン写真を見た医師の言葉だったようです)。
脳の中の出血が原因で、一時は左膝下から先が動かなくなる半身不随に見舞われました。

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その後、緊急手術を受けた杏仁さん。
目覚めた際には自分の置かれた状況がわからず、挿管されたカテーテルを引き抜いてしまったそうです。
片足で歩けると思ったので、そのままトイレに行こうとしたところを看護師さんが目撃。


出典:アカデミックな放課後FREEDOM_OSSAN

”動いたらダメです‼”と大慌てで駆け付け、カテーテルが抜けたことも見つかり大パニックになったのだとか。
その後、杏仁さんの半身不随は全快。現在は問題なく歩けているそうです。
(今でこそ笑い話としてお話されていますが、当時はご家族も杏仁さんの生命を危ぶむほど重篤な症状。杏仁さんご本人も”涙が出た”と振り返っています。)



出典:アカデミックな放課後FREEDOM_OSSAN

それ以来”思い切り生きる””人生悔いの残らないように”という考えに思い至ったそうです。

Youtubeでは、いつも笑顔でひょうきんな杏仁さん。辛かった過去も含め、前向きに生きてきた杏仁さんのお人柄が垣間見えてきますね。

ちなみに、杏仁さんは『アカデミックな放課後FREEDOM_OSSAN』でも折に触れてヘルメットの着用を奨励しています。
なかには河原でレストアしたポケバイを試走する際に、ヘルメットと耐火スーツまで着用したことも!
(おそらく動画のネタとして意味合いもあるのでしょうが)杏仁さんの”自分と同じ思いはしないで欲しい”という気持ちから、こうした姿を撮影しているのかもしれませんね。

杏仁さんは2023年3月に交通事故に遭遇

上記のサーキットでの事故とは別に、杏仁さんは2023年3月にも交通事故に遭遇。
事故当時のドライブレコーダーの映像もyoutubeに公開され、ファンをざわつかせました。

事故現場は、兵庫県神戸市西区平野町下村の『下村』交差点。

信号待ちの車列の中ほどで停車していた杏仁さん。
後方から猛スピード(80km/hを超えていた模様)で別の車両が接近、他の車両にぶつかりながら杏仁さんの乗っていたアルファードにも衝突したということです。
事故直後にも左肩あたりが『重い』と首を擦っていた杏仁さんですが、幸いにも怪我は大事に至らず。
アルファードは事故歴が付いてしまったものの丁寧に修理して、現在も乗っている様子です。

杏仁さん【水戸真之介】の現在は?

一時は事故で半身不随となった杏仁さん。
その後はD1を引退しました(引退時の年齢から察するに、事故が引退の理由だったわけではなさそうです)。
が、2023年にドリフト競技に復活することを決意。
2024年からフォーミュラドリフト(FDJ2)に参戦することを発表しました。

杏仁さんが水戸真之介選手として活躍していた時代の走りがこちら。

右コーナーから左コーナーへの華麗なふり返し!フロントのカウンターステアもお見事ですね‼

2024年に杏仁さんが運転するFDJ車両がこちら。
2024年2月の大阪オートメッセでお披露目されました。


フロントはS30系フェアレディZ。キャビンから後ろはS15シルビア。
クラシックとネオクラシックが融合したユニークな装いのマシンです。

杏仁さんファンとしては待望の復活ではないでしょうか。
今からフォーミュラD2024年シーズンの開幕が待ち遠しいですね。

2024年FDJ2の開幕は4月27日。
残念ながら杏仁さんは予選敗退となってしまいました。
同大会では同じくあかでみっくメンバーのラバー博士も予選敗退に沈みました。

続いて開催された第2戦のエビスサーキット。
杏仁さんは6月8日開催の予選を通過し、追走に進出!
6月9日開催の決勝では山下和孝選手と対戦し惜しくも敗れました。
そして同門のラバー博士は予選を5位で通過。準優勝を飾りました。

第3戦のスポーツランドSUGOでは、予選(7月5日)で81点という高得点を獲得しました。
翌日の追走では3-0の判定で与座ハリー選手に敗れ、ベスト16入りを果たしました。
第4戦の日光サーキットでは水野俊彦選手を下し、6位に入賞しました。

開幕から徐々に結果を出しつつある杏仁さん。
2024年の活躍が楽しみですね。

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